~酒が文化をつなぐ~海揚りの備前焼/酒井酒造美術館 一般社団法人 五橋文庫
~酒が文化をつなぐ~
海揚りの備前焼
酒井酒造美術館 一般社団法人 五橋文庫
神の米・イセヒカリ
平成元年、伊勢神宮を2度の台風が襲った。
神田のコシヒカリは跡形もなくなぎ倒された。
その中にすくっと天に向かって立つ2株の稲株があった。
その2株の稲は5年に亘固定化の実験栽培が行われ、新種として平成8年に「イセヒカリ」と命名された。
平成の御代の弥栄を招来するものとして新嘗祭に祭られ、神田に生まれた新たな米としてイセヒカリは登場したのであった。
イセヒカリの特徴は、茎が女性的でしなやか、全体に小ぶり。葉はいつまでも青々として、稲穂は見事な黄金色。アミロース含量の高い硬質米という特徴を持つ。
「ご飯に炊いてはコシヒカリに勝り、酒に醸すと美酒になる」とは、山口県農業試験場でイセヒカリを育てた元場長の弁である。
そしていよいよ平成10年から、岩国の酒井酒造(㈱)で本格的な酒造りが始まった。神の米イセヒカリは、今も熟練の杜氏によって美味しいお酒を醸し、四季折々の祭事にお目にかかるのである。日本には、古くから正月以外に節句を祝う習慣がある。節句と酒の関わりにも文化が生まれている。
須恵器がルーツの備前焼
日本のやきものの歴史は、紀元前13世紀の縄文土器から弥生時代の土師器と呼ばれる日本古来の焼物に始まる。焼き方は野焼きの酸化焼成で800~900度と低いため強度が弱かった。
その後、5世紀の古墳時代には朝鮮半島から須恵器が入り、日本各地の土地で日用雑器を作り発展していった。須恵器は穴窯という半地下から地下式の登り窯を用いて1100度の高温還元焼成であったため、強く焼き締まり硬度をあげた。その中でも6つの窯元が六古窯と呼ばれており、越前焼(福井県丹生郡越前町)、信楽焼(滋賀県甲賀市信楽)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、丹波焼(兵庫県丹波篠山市)、丹波焼(兵庫県丹波篠山市)、そして備前焼(岡山県備前市)である。
中でも鎌倉時代に岡山県備前市の伊部地方で確立された備前焼は、田畑の粘土を使い「落としても壊れない」焼物といわれ、当時評判を呼んだという。
唯一須恵器をルーツにした備前焼は、初期には還元焼成の灰黒色で、14世紀以降硬く焼き締まった酸化焼成の赤みを帯びた壺・甕・雷鉢が造られていった。桃山時代には茶道具や江戸時代には細工物も作られた。
北前船が備前焼を積んで瀬戸内海に出港し、沈没した記録が残るが、その記録をもとに海底から引き揚げられた古備前を「海揚り」と呼んでいる。特に昭和15年に岡山県直島沖の沈没船から、医師の陶守三思郎氏によって引き上げられた桃山備前の海揚りが有名である。
基本情報
- 住所
- 山口県岩国市横山2丁目4-32
- アクセス
- 錦帯橋から約3分
- TEL
- 0827-28-5959
- 料金
- 一般/700円
大学生/500円
高校生以下:無料 - 定休日について
-
水曜日
※祝日・年末年始・展示替時の休館については、ホームページや電話、ホームページ掲示板にておしらせ。 - 営業時間
- 9:00~17:00
- 開始日
- 2020/12/05
- 終了日
- 2021/03/09